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恐ろしい蜂
――「危ない橋を渡るときには、きちんと橋に相談するように。」と、その炭酸水は謳う。性懲りもなく文学などにのめりこみ、もう引き返せないところまで来てしまった。悦楽はもう干からびて廃れ、認識力は衰えている…どうにもならない。その炭酸水はしかし呑気で、彼の眼の前に位置する。――「お前が老いぼれるより早く、わたしたちは老いさらばえる…気が抜けてただの水になるのよ。」その炭酸水からは美しい小さなニンフがひとり現れた。彼の性欲をかき立てるつもりで現れたのだろう。空耳で彼は「エイリアン」ということになってしまった。本来的に自由主義者というわけである。-──点滴代わりに神さまの小便。
ニンフはしかし悪戯好きだ。空耳を立て…──「キリスト教とローマ帝国は、性質を異にするものです――前者は嗜虐であり、後者は残虐です。」――そうだ、ジョージ、君は犬のようだ。――「そうです、ピエロ、その恐怖の罫線はなんの元手になるのです?」退屈が恐ろしいだけだ。――ピエロ。――「宿木を失くす鳥はいない…思ったことを言えばいいのに。」この石のような人物こそ、この物語の主人公である。わたしは彼のなかにいるある病のことで、気になることをよく書き表す。――彼こそ命綱…と、思っているのだが、ともあれ巻物を著すのだ、そのピエールとやらを動かして。――「その勅令の土地はなんと言いましたか?」
そこでミラノ──その精神の着膨れした男の子を惑わせろ。その子は幼いが異教徒狩りの信念に燃え、正義のために働く気でいるのだ。――「支配のために無能力を残す…祭司の技術はこうしたものです。近代ネイションは、実はどれもイエズス会士的です。東洋人はその猿真似をして、アニミズムやカリフ制を広めようとしているようです。東洋人はその手の中身のないもの…われわれとは異なるものですが、どうします、ピエール?」そしてジョージはつまらない書物をめくり、聞こえないふりをしていたが、ニンフが辺りを飛びまわるのでそういうわけにもいかなくなった。――「どうします?」――命懸けで革命をするのだろうか?
――「東洋人が目掛ける先は暗黒です。われわれは宗教改革を飛躍を以て乗り越え、マルティン・ルターも殺す勢いですが、17世紀中頃にいるのです。通俗的な宗教が営利を備え、生きている虫を現し、蝮がそれを観つめる技術、われわれは同時にふたつのものを美しく持ちあわせ、その点、東洋人とは異なるのです。――シンプルな東洋人は動物のようなもの、そしてわれわれは革命と統治、衝動と論理、こうしたふたつのものを持ちあわせ、妙ある矛盾を生きている。」ニンフは書物の上に降りた。美しい肢体は子どもにも分かる価値なのだろうか?――「半開きのドグマの死にかける眼…あなたは勝ち誇ってはいられません。」
ポルトガル人のような搾取の悪魔になるわけにもいかず、スペイン人のような奴隷になるわけにもいかない。ピエールなるジョージは延々と考え続けた。その間、ニンフは次から次へと現れ、不思議な炭酸水の気は抜けてしまい、飲んでもただの水という風になった。――「東洋人は「反西洋」を掲げ、考えないから気難しさもなく、われわれの価値は道具のようなものでしかなく、それ以上の位置を持たされません。彼らが難癖をつけてなにをするかと言えば母胎回帰のみ、われわれのそれとは微妙に異なる中世への回帰であり、中身は至ってペルシア的なもの、彼らは龍になるのです。ローマの狼にはなれません。」ニンフは真面目そうな顔。
――「議会は決して伸長しません。なにもかも旧く、また旧く…。」思い当たる節がないではなかった。「近代」は何種類かあったらしい。――「われわれはイエズス会士のように価値を広め、笑っていました。しかしなにを誘導したかといえば対抗宗教改革のようなもの、そしてそのイエズス会士たちでした。彼らもまた「文化政策」などと称し自らの価値を広め、ふざけている。──烏滸がましい中世風の戯れ、貪欲、遅鈍、腐敗、彼らのすべてはこうしたものです。彼らはドイツのロマン主義者にとてもよく似ています。子どもでありドグマティズム、中世であると同時に後期イエズス会、頭でっかちのスコラ学とともに民主主義神学。」
過剰なデフレーションに夢を見て戦争をする?――「そこでヒトラーの言説ですが、あれは文明の結実でした。彼は文明の終わりに位置し、まったくの噂話のなかで「国民」を培い、無謀な戦争の果てドイツの支配層をかなり破壊し終え、おまけにドイツを分断し、欧州に福利をもたらし、大変な蓄財を可能としたのです。ヒトラーに感謝する者はどこにもいないでしょうが彼こそ「最後の人」、醜いですが最後の理性であり反文明の文明、反宗教の無宗教の宗教、国民にして反国民、許されざる藝術によりドイツの道徳は破綻し、欧州の埒外に置かれたのです。一頃フランスがそうだったのと同様、支配の条件をなし、つまりはその対象となる。」
要するに敵視された。――「反ナポレオンのナポレオン、反ローマのローマ、反文明の文明として自然主義、近年のアメリカにも観られたものはヒトラーにすでに観られたものです。力任せの経済学で国際的に孤立する──孤独な散歩者ルソーや、やりすぎのトマス・ペインのようになる。まったく力任せの藝術はこういう腐敗を用意する。」そしてピエールもまた龍になりつつあった。――「その烏滸がましい傲慢な自然――どうにかならないものでしょうか?」ピエールはなにやら憂鬱だったがどうにか堪えた。──道徳が消えていく…そのとき、人は憂鬱になるのだ。──「一層多くの重大なお話が、ほかにも山のようにあるのです。」
事は通貨の強さばかりのお話ではない。そしてピエールはまだ学問に励まなければならない。しかし頭のなかではどうしても遊んでしまうのがピエールである。ピエールは空想ばかりしている。――「遊び惚けても時間は過ぎるだけです、あなたはもう歳なのだから…。」と、13歳のピエールにニンフは尋ねた。――「歳?」ピエールは思わず言った。──「光陰矢の如しです、ピエール、悪いことは言いませんから、その歳から進めるだけ進んでいること──進むということが大事です、捗るということ。」そしてピエールはまたお茶を汲みに行った。そのお茶は頭のなかにあり、ニンフは現世のものではなく…いや、現世のものであるわけがない。
――そうだ、これは夢であるに違いない。ピエールは考えはじめた。炭酸水からニンフが現れるはずがない、この世界が下らない神話であるはずがない、そしてこれは夢なのだ。8人になったニンフはご褒美のガトーに手を出していた。――「それは俺のだ。」ピエールは言った。――「講義の代金です。」全裸の彼女たちはニコニコと笑い、それを見てうんざりとしたピエールはなぜか少し眠くなった。精神はこのリアリティから逃げたくなっているようだった。彼はふらふらとベッドにしけこむことにした。これは夢なのだ。眠りさえすれば飽和からも解放される。飽和は人を長閑にもするが、憂鬱にもするらしい。気分転換を忘れている…。
ピエールはこのようにして日々を暮らす。哲学の入口でまさに中学生、もっと歴史を勉強しなければと考えている。――個別が重要、事の自然を捉える、ありきたりに言って不道徳の道にピエールは入りこもうと企んでいた。道徳は愚かだが、しかしそうしていないと憂鬱になる…ふむ、不思議なシステムが世にはある。――そして普段、マンネリがピエールには憎い、高位聖職者が憎い。最高の無責任者たち…彼らの恨みはどれほどの者に幻想を見せるのか?彼らはどのように餌を食べるのか?おそろしく手の込んだやり方であることないこと混ぜあわせ、幻想を売り、そしてもちろん、破滅するまで略奪をする──聖職者…。
本来的に小説家もこうだろうが、ともあれこのような空想に揉まれ、かなりの時間をピエールは過ごしている。――夢、盲目的な妄言、ピエールは山のように聴いた。――夢、人間は素材的に夢と同じもので出来ていると、シェイクスピアは述べていた。――夢、気になるのは夢のこと、子どもが自分のなかにいることを感じたが、ピエールには自分を子どもだと思ったことが一度もない。自分は子どものふりをしているのだ──なぜならその役割を宛がわれるからだ、云々。そしてピエールは他人の願望どおりに生きることに深い憤りを感じはじめていて、どうにも感受性が盛るのだ。――そしていつもピエールは人殺しの夢を見る。
いつかは決済されるに違いない。誰でもいいからわがままな奴に八つ当たりしよう──悪党ならば赦されるに違いない、云々。そしてひとまずピエールは眠りにつこうと欲したが、この日はなかなか寝つけなかった。ニンフたちが暴れていたのだ。――「ひと思いに殺してしまえばいい――ピエール、我慢のしすぎはよくありません。思い当たる節があるのなら、面と向かって言ってみればよろしい――聖職者、お前らに用はないのだ、と。」――聖職者、もちろんそれは学校にいる。そしてあの猿ども、あの神の猿どもを殺そうとピエールはひとたび思ったが…しかしやめた。あの猿どもには利用がちがある…そうだとも、そうだろう?
ともあれピエールは政治をしなければならないのだった。そして道徳の奇妙な自然憎悪には利益を度外視することがある。そして彼は自己を理解しつつあるようだった。聖職者はまったく無意味なものになりつつある。自由な者には感傷がないから、道徳がない。──「それにしてもピエール、あなたにはなんの負荷もないのでしょうか?世のなかには弱者がいるのです。そのために聖職者を利用するのですか?──神の猿の子どもたち、宗教の子どもたち、あのような連中を増やしてどうします?あの連中には暮らしのことがよく分かっていません。そしてわれわれは生産性を生きている――「神の国」を生きているのではない。」
ニンフは言う。――「あの下らない猿を「猊下」と仰ぎ、そしてなんの利得が?」それは経営学?――「ええ、ピエール、夢を見せておけばよいのです――彼らには「なんでもできている」、おだてておけばよいのです。そしてあなたの利鞘になりますように。」そして8人のニンフは薄らと消えてしまい、ピエールは残された。――夢?夢を見せる経営?つまり…どういうことだ?――欺瞞?利益のためには欺瞞が要るのか?宗教は経営を楽にして…いや、堕落させるのではないか?――万人祭司?それでは宗教が政治をすることになるのではないか?このような小難しい議論を頭のなかでしている間、ピエールの眼はぱっちりと開いていた。
――それは黙示録の眼だ。それは例えばコンモドゥス帝のある彫像によく表された奇妙に冷たい眼、それは同時に万物を見透かすような眼、恐るべき統治者に彼はなるに違いない。恐るべき英才教育はまったく徹底的に施されていた。彼はイートン校に通っている。ひょっとして彼の少年時代はもう終わっている。それはまったくスパルタ的な統治者の学校、いや戦争の学校だ。連合王国は一筋縄では決していかない。彼はフーリガンになるわけにはいかない。しかし彼はあまりに通俗藝術を愛しすぎていた。彼はエリート主義などというものが決して巧くいかないだろうということをなかなか感じていたのだ。――どうする?ブリテン?
天才の作り方など神でさえ知らないはずだ。奇妙な敷居、構造的不安を徹底的に取りのぞき、まったく能力だけの国を作らなければならないのではないか?社会福祉はひとまず充実すべきだ、持たざる者に理由は備わらないからだ云々。そしてなんの神懸かりなのかピエールは飛び起きた。――どうせこの夜は眠れはしない。彼の両親は例えば彼をピット氏にするつもりで徹底的な訓練を彼に施していたが、案外彼はなかなか反対のことを考えるようになっていた。――統治者ばかりの国はなにをしても弱い国だ。処女王がいたころは私掠行為でなかなか民衆は活気づいていたに違いないと、大した資料もないのに彼は考えていた。
ありあまる性欲の彼は今にも燃えあがりそうだった。間違いなく彼は早熟なのだ。しかし彼にはあらゆる困難を乗り越えることができるという奇妙な自信が、どうしてかある。ブリテンは叡智的な国なのだ。ブリテンは隠れ理想主義の国であり、ハイド氏はいつもどこかにいる。ブリテンの民衆は至ってワンダフルであり、別に大英帝国だけがそうであるわけではない。――そして彼はここがまったく夢のなかだということを理解した。彼はフロックコートを身に着けており、見たことのないおそらく白金製の奇妙な懐中時計が懐にある。蓋を開けばデジタルが深夜の2時を報せている。見れば炭酸水のボトルにはばらの花が活けてある。
赤と白のばらの花は枝をぐんぐん伸ばしさらに花を咲かせ扉を占める。家族は皆、寝ているに違いない。もう夜更け、彼はひとりだ。どうせ夢なのだからと思いつつ彼はその扉を開けた。ニンフがひとり飛び、ふたり飛ぶ。――「おや、ピエール、お目覚めですか?」ひとりが言った。――「俺はジョージだ。」ふと見ればデジタルが時刻を変えた。――「ジョージ、そうでしたね?ジョージ…。」ニンフが辺りを飛んでいた。澄みわたる蒼空は広々、向こうは山麓、ここは野原で、大きな湖がすぐそこに見える。――「ここはどこなんだ?」ジョージは聞いた。――「ケントです。」――「ケント?」――ニンフは嘘をついたのか?ともあれこれは夢なのだ。
――さて、背徳者、大冒険の旅に出ようか?
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